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福岡地方裁判所 昭和32年(わ)1308号 判決

被告人 井上勝次

明三五・二・二六生 無職

浜崎勲

大二・八・一生 会社取締役

主文

被告人井上勝次を懲役八月に処する。

右刑の執行を二年間猶予する。

本件公訴事実中、起訴状記載の第一(一)(二)の点につき被告人両名ともに無罪である。

訴訟費用中証人羽野修、同隈本健次、同山下善之介に支給の分全部及び証人森田勝也、同小林順一に支給の分の各二分の一は被告人井上勝次の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人井上勝次は、福岡県八女郡立花町(旧光友村)大字原島字下河原一〇二四、一〇二五番地に所在する東亜紙業株式会社所有の光友工場の建物設備が、昭和二十四年四月一日、昭和二十六年二月二十六日、同年七月三十一日の三回に亘り、国税滞納処分として、八女税務署収税官吏より差押を受けた際、各回ともに同会社代表取締役として当該差押物件一切の保管を収税官吏より命ぜられていたものであるところ、

一、昭和二十八年四月中旬頃、前記会社内において、右差押物件として前示命令に従つて自ら保管中の発電機一台を、さきに同会社が福岡市雁林町二七番地日本投資株式会社より借り入れた金三百万円の債務中未返済分五十万円に対する代物弁償として、勝手に右日本投資株式会社に引渡し、

二、同年十一月三十日頃、隈本健次、田中学の両名と共謀の上、前同所において、前同様差押にかかり且つ前示命令に従つて自ら保管中の日立モーター十馬力一台、芝浦モーター七・五馬力一台を、右両名が連帯して八女市大字本町一番地大成金融有限会社より金二万五千円を借り受けるに際し、右債務の担保として、勝手に右大成金融有限会社に差入れ、

以てそれぞれこれを横領したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人井上の判示一・二の各所為は、いずれも刑法第二百五十二条第二項(判示二につき同法第六十条も)に該当するところ、右は同法第四十五条前段の併合罪を成すから、同法第四十七条本文第十条に従い犯情重い前者の罪の刑に併合罪の加重をした刑期範囲内で考量し、被告人を懲役八月に処するが、同法第二十五条第一項により右刑の執行を二年間猶予する。

訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用する。

(無罪の判断)

被告人井上勝次、被告人浜崎勲に対する左記訴因による公訴事実については、すべて刑事訴訟法第三百三十六条に従い無罪の言渡をする。

該公訴事実によれば

被告人井上が前示の如く国税滞納処分による差押を受け収税官吏より命ぜられて保管していた前記光友工場の差押物件を、被告人浜崎が昭和二十九年十二月十一日代金百五十九万四千円にて一括買い受ける旨の随意契約を福岡国税局長との間に締結したものの、その際約定の契約保証金十六万円を納付したのみで、代金は全く納めなかつたから、右契約前は勿論のこと、契約後においても代金完納前において被告人浜崎が右物件につき売却処分の権限を取得することはないのに、被告人両名共謀の上、勝手に、

(一)  前記随意契約前である昭和二十九年十二月七日頃被告人井上の肩書居宅において、前記光友工場の差押物件中のコルニツシユ型五トンボイラー一基を福岡県山門郡瀬高町上長田新船小屋鉱泉有限会社に代金二十四万円で売却し、

(二)  前記随意契約後代金完納前の昭和三十年四月二十八日頃、八女市唐八町松本鉄工所(西常男方)において、前記差押中の物件である木造便利瓦葺二階建工場延一四七坪一棟、木造便利瓦葺二階建工場延一二三五坪一棟、木造瓦葺平家建工場五坪一棟、木造便利瓦葺平家建工場一二坪一棟、木造便利瓦葺平家建工場九坪一棟外六点を横山恒登に対して代金三十五万円で売却し、同日その内金として額面十万円の小切手一通を同人より受取り以てそれぞれこれを横領したものである。

というのであつて、前顕諸証拠及び当裁判所が証拠調をしたその他の証拠に徴し、右の事実関係はすべてこれを認めることができるが、先ず第一に当裁判所は国税徴収法第二十四条第四項に基く随意契約による売却の場合の目的物件の処分権限移転の時期につき検察官と見解を異にする。

即ち、国税滞納処分による公売に代るべき随意契約による売却の目的物件に対する所有権移転の時期につき、民法第百七十六条が掲げる物権変動に関する意思主義の原則を排除する規定の見るべきものなく(かえつて国税徴収法施行規則第二十七条の如きはこの原則に立脚して規定されたものと解することができる。)、本件の場合これと異る特約がなされたことにつきその証拠がないから、結局本件随意契約成立の時と認め得る昭和二十九年十二月十一日において既に右各物件の所有権は、買受人たる被告人浜崎に移転し、その時を以て同人はこれを他に処分し得る権限を取得したものというべく従つて又その時において被告人井上が該物件を収税官吏の命により保管する関係も消滅したものといわねばならない。国税徴収当局の事務上の都合により該物件につき被告人井上に対し保管解除の手続を執ることが遅延していたことは右判断に消長を来すものではない。

よつて右公訴事実(二)については、その他の点につき判断するまでもなく、被告人両名の所為は横領罪を構成しないものといわねばならない。

ところで、右公訴事実(一)にあつては、被告人等の売却行為が、随意契約成立の時より前になされている点で右(二)の場合と事実関係を異にしているが、

一、被告人両名の当公廷における供述

一、被告人浜崎に対する司法警察員の供述調書二通

一、同人に対する検察官の供述調書三通

一、被告人井上に対する司法警察員の供述調書五通

一、同人に対する検察官の供述調書

一、藤井正春に対する検察官の供述調書

一、証人森田勝也、同小林順一、同藤島義雄、同内野勇雄、同横山恒登の当公廷における各供述

一、内野勇雄作成の売渡証一通、領収証四通の各写

を綜合して、右公訴事実に関連する前後の事情を考えて見ると、被告人浜崎がボイラー一基を前示鉱泉有限会社に代金二十四万円で売渡す契約を締結した時期は、正に公訴事実指摘のとおり被告人浜崎が前示随意契約によつて該物件の所有権を取得する約四日前の昭和二十九年十二月七日頃であるが、その以前より既に右ボイラー一基を含む前示光友工場の差押物件を被告人浜崎が随意契約により一括して買受けることの折衝が同人と国税当局との間に進捗しており、右十二月七日頃には被告人浜崎としては右折衝の経過に徴し近く自分を買受人とする随意契約が成立することを確信していたこと及びこの経緯を同人より聞き知つていた被告人井上もまた右同日頃には同様の期待を持つていたことが窺われる。

この様な事情の下において、被告人浜崎が近くその所有権を取得すべき物件につき他と売買契約を結ぶことは、むしろ取引の常態というべくそれ自体としては何等違法性を含む行為ではない。

しかも被告人浜崎と前示鉱泉有限会社との間で右売買契約と同時に授受された金額は代金総額二十四万円の内五万円に過ぎず、その後前示随意契約成立の後に至り右代金の完済を経て右ボイラーは買主たる鉱泉有限会社に引渡されたことが右の諸証拠によつて認められ、このことから見ても該売買契約においては物件引渡の時期は随意契約成立の時以後に定められたことが推認できるわけであつて、右の様な事情の下で右の如き内容を以てなされた売却の意思表示である限り、それが差押物件保管者たる被告人井上と共謀の上なされたからといつて、これを以て同被告人につき保管物件横領の意思発現ありとは未だ認め難く、従つて又これに加功したとして被告人浜崎につき、右物件横領の刑責を問うこともできない。

(裁判官 安倍正三)

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